さぶこんシャス

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棚橋弘至は『「逆・風車の理論」の体現者』なのではという考え

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この記事を読んで思ったこと。

 

 

 

『棚橋弘至は、「逆・風車の理論」の体現者なのでは?』というのは、実は昔から思っていたこと。正確には、「風車の理論」とは異なるものというニュアンスであって、“逆”という表現が正しいかどうかはわからない。言いたいことは、「棚橋弘至の試合では、棚橋は普段通りだが、相手が数倍輝く」ということ。風車の理論は、相手を8、9に見せて自分が10で勝つわけだが、棚橋の試合では、相手が平気で10を超えていってしまうことがあるのだ。当然、その理論に照らし合わせれば、負け試合が多い。(負けまでいかなくても、普段通りの試合運びにならないことが多い)

 

パッと思い浮かんだところでは、棚橋永田、棚橋中西、諏訪魔棚橋、棚橋内藤、棚橋オカダがある。負けていないが、という試合では語り継がれる棚橋後藤、いくつかの棚橋中邑もそう。

 

もちろん、棚橋裕二郎のように、いわゆる「風車の理論」的な試合もあるし、オカダや飯伏、内藤、HARASHIMAらに対する「圧倒的な格差を見せつけて勝つ」タイプの試合もする方だと思う。

 

それでも、棚橋弘至の名勝負を思い出せと言われたら、やっぱり対戦相手のことを思い出してしまうのだ。やれ後藤だ、中西だ、鈴木みのるだ、当然、対中邑真輔にあっても。「ああ、あの時アイツ(対戦相手)がああやったプロレスね」と記憶されている。棚橋弘至は、いつもどおりで、あれほどいい試合なのに記憶に残っていない。

 

棚橋弘至の「逆・風車の理論」は、おそらく「棚橋しかない状況」から生み出されたものなのでしょう。そういう意味では、いまの新日本プロレスは、やっぱり棚橋弘至がひとりでなんとかしたという評価が正しいと思う。

 

もしかしたら、いわゆる「暗黒時代」といわれる2000~2013年を「いつもどおり楽しく見ていた」人特有の考えなのかもしれない。長らく新日本プロレスを追いかけていても、全然、棚橋弘至を応援したいと思わない。でも、棚橋弘至の試合はこの先何度でもみたい。棚橋弘至というプロレスラーは、いまやなくてはならない特別なものになっている。

 

果たして、十年後、二十年後、50・60歳になった棚橋弘至は、最前線から退いた棚橋弘至は、プロレスメディアや社会からどのような評価をされているのでしょうか。

 

 40歳で、いまから20年後が楽しみなプロレスラーなんて、過去未来存在しないわけで、なんだかやっぱり、100年に一人の逸材なんだと思う。あと20年は、プロレスファンでいようと思う。