さぶこんシャス

土曜の夜にひそひそと貪り、あとは眠るだけ。

永田裕志こそ平成の力道山と呼ぶべきプロレスラーなのだ

そうなのだ!

 

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www.youtube.com

っぱ永田さんはすげえや。世界のジョンモク、MOXことジョン・モクスリーさんから直接挑戦者に指名。NJPWにきたらYUJI NAGATAとやらずに王者は名乗れないからね。仕方ないね。それにしてもMOXさん、石井ちゃんといい多分石井永田名勝負数え歌のファンだろ。MVPさんも熱狂的な小島聡ファンだったし、やっぱりアメリカでは第三世代が天下とってたんだろうなちゃんと。

 

最近のファン的には「なんで永田やねん」という気持ちもあるだろう。

違うんだ、いや違わないが違うんだ。

 

新日本プロレスに侵略する超大物外国人に立ち向かうのは永田裕志、

絶対王者は小橋建太、早いリーチはイースーソー、氷川きよしは紅組、

ビッグマックセットはLポテトとLコーラのLLセットというくらい確実なのじゃ。

平成永田史をご存じないファンのために、その歴史の一端を振り返ってみようか。

 

この一覧見て、どれだけ永田さんがベスト・イン・ザ・ワールドクラスの外国人レスラーとやってきたかわかるでしょ。 格闘技世界一決定戦の正統継承者どころか、平成の力道山じゃん。

 

ソース探すの面倒だからwikiから持ってくるね(おい

永田裕志 - Wikipedia

 

対 スコット・ノートン

1998年、日本に帰国。同年、蝶野正洋の負傷による王座返上を受けて組まれたIWGPヘビー級王座決定戦に自ら本隊代表として志願し、nWo代表のスコット・ノートンと対戦するも、ノートンのパワーに圧倒されて敗れる。

 

対 ミルコ・クロコップ

2001年、~~12月31日、総合格闘技初参戦となったINOKI BOM-BA-YE 2001ミルコ・クロコップと対戦したが1R21秒左ハイキックを受け、レフェリーストップによるTKO負けを喫した。

https://www.toudoukan.com/cms_img/shop.shop,goods_base./2566000/image1/width/300/height/400/c/511828e25a5b6c9d38971aa1e9cdf442/

対 ジョシュ・バーネット

2002年12月、新日本プロレスの大会に登場。2003年1月4日、新日本の東京ドーム大会で初参戦にしてIWGP王者永田裕志と対戦(経緯後述)。

ジョシュ・バーネット - Wikipedia

永田さんがIWGP王者のときのこと。リング上にさっそうと現れては永田さんをフロントネックロックで秒殺失神させたときは、全永田ファンが涙を流したよね(呼吸ができずに) 。もちろんGP戦ではリベンジ成功!ミルコ戦で染み付いた対総合格闘技の悪い印象も払拭!さすが永田さん、風車の理論の体現者!

 

対 エメリヤーエンコ・ヒョードル

2003年~~

11月30日、ノア・北海道立総合体育センター(きたえーる)で棚橋と組んで、小橋&本田多聞を倒し、GHCタッグ王座を奪取。12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2003」でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、1分2秒左フックでTKO負けした。なお、イベント開催自体の開催が危ぶまれ、ヒョードル戦が決定したのが試合前日という混乱ぶりで、開催後も安田忠夫と永田のギャラが未払いとなり新日本プロレスが訴訟を起こすなどのドタバタがあった。永田はIWGPの防衛記録を持つなどのプロレスでの戦績と、アマチュアレスリングのバックボーンを持つことから大いに期待されたものの、2001年のミルコ戦に続く敗戦から、その後のプロレス業界の低迷も相まって「プロレス幻想を打ち砕いた」、「プロレス凋落の戦犯」などと批判・揶揄された。

 上に全部書いてあるからノーコメント。早くギャラ払って。なお

4月26日、前田日明がヒョードル戦の内容に苦言を呈したのに対し「ニールセン戦が悪いんじゃないが、ヒョードル戦とはジャンルが違うだろ。胸に手を当てて考えろ。」と発言。

やめてあげて

 

対 ブロック・レスナー

2005年10月、長州力が現場監督として新日本に復帰した際、蝶野を中心とした反長州派が不満をぶつけるなか、中立を宣言する。長州に好意的な選手が少な過ぎるため、棚橋と共に長州とタッグを組まされ、半ばうやむやな形で中西とともに本隊に戻っている。12月11日、当時IWGPヘビー王者のブロック・レスナーと対戦し、敗北した。

長州力からも「天下を取りそこねた男」とか呼ばれながらちゃんと重用されるところが永田裕志らしさ。新日本プロレスの荒岩主任、サラリーマンの鏡。

 

対 ジャイアント・バーナード

2006年に入り、スポーツ新聞の取材時にバレンタインチョコをかじる、徳島での試合を控えて阿波踊りで挑発する、誕生日ケーキを食べながら指をしゃぶるといったコミカルなパフォーマンスを行なっていた。4月にはワールドプロレスリングで試合が放送される際、白目をむいて鬼気迫る表情をする姿に「鬼神」「キラー永田」とテロップが入った。5月の第2回NEW JAPAN CUPでは、決勝でジャイアント・バーナードに敗れ準優勝。 

 ちょうど白目ブームがき始めた頃。このあとドラゲー神戸大会で、タケちゃんマンの格好してストーカー市川とかともやったりしてる。

 

対 カート・アングル

2008年1月4日、「IWGP3rdベルト」を賭けてカート・アングルと対戦するもアンクルロックにより敗退。

 ぶっちゃけ、ダントツこの年のプロレス大賞ベストバウト候補だったと思うよ。1.4でセミでなければ、とってたと今でも思う。

 

対 グレイシー一族

2014年1月4日、レッスルキングダムにおいて、桜庭とタッグを組み、ダニエル・グレイシーホーレス・グレイシー組と対戦。ダニエルに道着での首絞めを受け反則勝ちとなった。

2月11日、THE NEW BEGINNING大阪大会において、永田、桜庭対ダニエル、ホーレス組のリマッチが行われた。今回はプロレス対柔道の異種格闘技ルールとしてオープンフィンガーグローブでのパンチおよびチョークスリーパー、道着での首絞め有効の特別ルールで行われる。試合は桜庭がホーレスに道着でのチョーク攻撃を受け敗れた。

 ついに柔術家とも戦ってしまう永田さん。ミルコ、ヒョードル、グレイシーと戦った唯一の日本人じゃない?

 

あとちなみにビル・ゴールドバーグを育てたのも永田さんだから

なんと・・・。とくにインスピレーションを受けたのは誰でしょう?

そうだな、たくさんいるが一人挙げるなら永田裕志だ。WCWパワープラントで直接の関わりがあったからな。よく一緒にトレーニングしたよ。彼は本当に親切で、俺にいろんな技術を教えてくれた。世話になりっぱなしだったよ。もちろん言葉の壁はあったが、プロレスを通じて絆ができて、最後はとても良い友達になった。

『日本のプロレス文化から大きな影響を受けている』: ゴールドバーグ選手 独占インタビュー(2016年) : スマコラ - WWE応援コラム

 

ここまで振り返ってみても、そりゃインディー出身のジョンモクさんからすれば、永田さんのメジャーのど真ん中を行くキャリアはあまりにも眩く、目障りなものに映るだろう。USヘビー級を差し出しても退けたい存在なのだ。

 

そこは一筋縄では行かない永田裕志。STRONGでやるのか国内でやるのか、AEWでやって先日の電流爆破よろしく白目式が全米放送で流されてしまうのかはわからないが、オレが言いたいのはとにかく楽しみってことだし、永田裕志の格闘技世界一決定戦は終わらねえ!ってことですよ。ミルコもヒョードルもアングルもみんな引退したんだから、最後に立ってる永田さんが最強!ってことで。

 

永田さんの何がやべーって。これ以外に他団体の侵略者全部相手にしてて、他団体のベルトもリーグ戦もほとんど取ってるからね。対外国人だけじゃないのよ。団体内も他団体も、アメプロ外国人も総合格闘技選手も、何時何時誰とでも永田裕志で出陣してくれる。永田さんのWikipediaなんて10年ぶりくらいに見たけど(NJC取ったときくらいぶり)、っぱこのひと、平成の力道山だわ。