私はしていると思う。
夢の中で、最初から最後まで、素晴らしい体験だけをして、見たいものだけを見たことがあるだろうか。私はない。上がったり下がったり、ジェットコースターのように展開が移り変わり、幸福を享受する瞬間、または最悪の直前に目を覚ます。私は、それが夢だと思っている。もちろんそれは人それぞれの脳によって異なるはず。
そして、自分にとってプロレスは、最も「夢に近い表現」だとも思う。戦いがあるかないかは別として、これは夢のような表現だ。だからずっと好きだし、この年になっても好きでい続けられる。何歳になっても夢を見ていたい、叶うことならいい夢を。
飯伏幸太は、「夢が人の形をしている」と評されたレスラーだ。いまもそうだと、確信している。飯伏幸太がデビューから歩んできた道をずっと一緒に辿ってきて、自分たちや、周りも歳を重ねた。それらを見渡してから見れば、やはり飯伏幸太は「夢が人の形をしている」。いまでも。常識では考えられないことだ、夢だとしか形容できない。
2024.1.2NOAH有明アリーナ大会は、相対的にはよい大会と呼べる類だと、私は思っていたが、X界隈(not金網)ではどうもそうではないようだったので、私なりの感想を書いてみて、それをまとめて残しておきたい。
NOAH有明、なにがそんなに批判されるのかよくわからない。メイン以外は想定内で、セミは誰が見ても素晴らしかった。それでメインで「金返せ」みたいなこと書く人がいる事自体が信じられない。メインディッシュの肉まで美味しく喰って、デザートが庭の干柿だったからコース料金返せってこと?アホちゃう
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
拳王対フジタ"Jr"ハヤトだけは、何としても観なければならない。いま、やってもらわなければならない、そういう気持ちで包まれた昨夜だったので、丸藤飯伏に対してなにか物足りないという感情はなかったですね。むしろ「よく成立させたな、2人はやはりただ者ではない」という思いだけ。普通は中止よ
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
NOAH丸藤飯伏に対していくつかだけ所感
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
・どう見たって飯伏は試合前からコンディション悪かったし、GLEATのときもAEWのときも復帰後はこんな感じだったから。飛んだりはねたりすると思っていた人がおかしい
・強いて言えば、丸藤オスプレイから時間が近すぎたことがよくなかった。そうはならないよそら
・2人は「いまの自分たちだったら何ができるか?」を追求し、表現してくれた
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
・たまたまアクシデントが起きてそうなったように見えるけど、おそらくは試合前から、2人は「いまできること」を模索してこの試合に臨んだのだと、覚悟を感じた。それがあったから試合が成立したのだとも
・私個人の感想としては、「いまできることを出し尽くした試合に見えたので満足しました」
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
・プロレスは人間が表現するものだから。人間は肉体や思考の変化する物質だから。想像通りになるわけなくて、そんなものはプロレスじゃあないんだ。AIとAIの相撲でも見てろ(なお私はAIとAIの試合マニアです)
・本人たちが自身をそう表現しているのであえていうなら、彼らは「キャリア晩年」にある。その2人がいま試合をすること。15年後にケニーとオスプレイが去年と同じ試合をすると思うのか?NOAHファンなら小橋建太晩年、そうでなくとも天龍オカダや、フレアーやホーガンの晩年の試合を見てきたらいい
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
・飯伏幸太の言う通りだと思う。たぶん15年前に飯伏幸太丸藤正道をDDTをやっていたら、「そんな試合もあったな」で終わると思う。でも昨夜の飯伏丸藤は、たぶん2人のどちらかが引退したあとも忘れないよ。NOAH有明は拳王征矢の大会だったけど、飯伏丸藤の試合はいつ思い出してもこの試合だけなのだから
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
プロレスは試合が成立した時点で作品としては完成している。何を持って最高評価と考えるかは人それぞれだけど、そこで必ず完成はしてしまうの。試合不成立はまだしも、完成した試合は完成品として評価すべき。試合でけがをしたのはこれが初めてじゃない。これも飯伏幸太のプロレス。見れたことに感謝。
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
ただ一つ、付け加えるなら「別にNOAHのフロントやABEMAの判断は評価してない」ということ。そもそも、何かしらの強い理由があるにせよ、いま無理にでもやることにしたのがおかしい。もちろん、メインでなければ中止もあったろう。様々な思惑の中、二人の天才が真に選手生命を懸けたから、生まれた試合
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
ほんそれ。選手や経緯への思い入れは人それぞれなのだから、試合だけ評価してほしい
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
・試合として酷評(それぞれの主観)←わかる
・試合中にけがしたなら止めろよ←わかる
・試合できるコンディション作ってこい、金返せ!←これがよくわからない https://t.co/vraIPECrFJ
自分はプロレスの心理も、本当のストロングスタイルも、目ン玉飛び出るようなストロングスタイルも、長年見ていても全く理解できていないのでアレですが。プロレス、というか表現型スポーツ、アスリートにとって、「今の自分に何ができるのか」っていうのは一つの芯となるテーマではないのかしら。
— おきよさん (@kiyo_fuji) 2024年1月3日
レスラーたちが、本当にそれを意識しているかは分からない。だって私はプロレスをしたことがないもの。でも、彼らが「今の自分に何ができるのか」を追求した結果、いま目の前でこの試合を作り上げているのだな、と考えると、プロレスをより長く楽しめる。50代、60代、70代、80代(対象者1名)のプロレスだって、楽しめる。アスリートプロレスと比較する必要なんてない。目の前で起きていること、完成した試合を素直に受け止められる。
でも、気持ちはわかる。気持ちもわかる。夢の形も、夢の常識も人それぞれだから。
飯伏幸太がプロレスを続ける限り、彼に夢を見ているものたちは、夢を見続けていたいと、思い続けて飯伏幸太を、追い続ける。不思議な関係性で、日本語にすると重複表現でなおかつ気味が悪い。
それでも人は夢をみたい。日常に、社会に、長く生きれば生きるほど、夢を求めてしまうもの。
それはいつまで続くのか。
考えるに、人の欲望なら肉体や思考が滅びるまで。
ならば私たちは、夢の形があり続けるまで。
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