さぶこんシャス

土曜の夜にひそひそと貪り、あとは眠るだけ。

飯伏幸太のプロレスは、まだ「夢が人の形をしている」か。

長期欠場を発表の飯伏幸太…異例の2冊同時発売された『自伝』の衝撃的すぎる内容とは! (2015年11月9日) - エキサイトニュース


私はしていると思う。

 

夢の中で、最初から最後まで、素晴らしい体験だけをして、見たいものだけを見たことがあるだろうか。私はない。上がったり下がったり、ジェットコースターのように展開が移り変わり、幸福を享受する瞬間、または最悪の直前に目を覚ます。私は、それが夢だと思っている。もちろんそれは人それぞれの脳によって異なるはず。

 

そして、自分にとってプロレスは、最も「夢に近い表現」だとも思う。戦いがあるかないかは別として、これは夢のような表現だ。だからずっと好きだし、この年になっても好きでい続けられる。何歳になっても夢を見ていたい、叶うことならいい夢を。

 

飯伏幸太は、「夢が人の形をしている」と評されたレスラーだ。いまもそうだと、確信している。飯伏幸太がデビューから歩んできた道をずっと一緒に辿ってきて、自分たちや、周りも歳を重ねた。それらを見渡してから見れば、やはり飯伏幸太は「夢が人の形をしている」。いまでも。常識では考えられないことだ、夢だとしか形容できない。

2024.1.2NOAH有明アリーナ大会は、相対的にはよい大会と呼べる類だと、私は思っていたが、X界隈(not金網)ではどうもそうではないようだったので、私なりの感想を書いてみて、それをまとめて残しておきたい。

 

レスラーたちが、本当にそれを意識しているかは分からない。だって私はプロレスをしたことがないもの。でも、彼らが「今の自分に何ができるのか」を追求した結果、いま目の前でこの試合を作り上げているのだな、と考えると、プロレスをより長く楽しめる。50代、60代、70代、80代(対象者1名)のプロレスだって、楽しめる。アスリートプロレスと比較する必要なんてない。目の前で起きていること、完成した試合を素直に受け止められる。

 

でも、気持ちはわかる。気持ちもわかる。夢の形も、夢の常識も人それぞれだから。

飯伏幸太がプロレスを続ける限り、彼に夢を見ているものたちは、夢を見続けていたいと、思い続けて飯伏幸太を、追い続ける。不思議な関係性で、日本語にすると重複表現でなおかつ気味が悪い。

 

それでも人は夢をみたい。日常に、社会に、長く生きれば生きるほど、夢を求めてしまうもの。

 

それはいつまで続くのか。

考えるに、人の欲望なら肉体や思考が滅びるまで。

ならば私たちは、夢の形があり続けるまで。



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